2013年4月3日水曜日

入院と手術4(手術当日)

気がついたら朝だった。病院は6時が起床時間で、放送が入る。

検温と血圧測定がいつものようにあり、その後もなんとなくベッドの上でゴロゴロとしていると、そろそろ手術の時間が近づいて来た。朝一番早い時間からの予定らしく、8時20分には手術室に入るという説明を昨日聞いていた。同意書を書いた際の説明では、順調に行けば、10時30分ごろに手術は終わるという。家族(父と母)は、それぞれに家族に関する用事があり、手術が始まる時間には病院に来られず、それぞれ手術中か終わったころ到着する予定。兄夫婦も来るとは言ってくれていたが、住んでいる家は病院からかなり離れているので、どうやら手術中になりそうだった。普通、家族が手術する場合、誰かが最初から最後までいるものなのだろうけど、乳がんの手術では何かあるということはなさそうなので、終わってから来てもらえればいいやと思っていた。

本当なら、ここでは配偶者などのパートナーなんかが来てくれるもんなんだろうけど、私にはそんな人はいないので、文字通り孤独である。シングル・がん・孤独と、シャレにもならない背景だが、それは手術の時だけでなく、この先もずっと個人的に背負っていかないとならないことなので、どうしようもない。私こそが、今流行の「お一人さま」なのである。

のろのろと体を起こすと、なんと昨日お見舞いに来てくれた友達が現れる。びっくりした。昨日、帰り際に「明日も来るよ」と言ってくれたけど、丁重に断ったつもりだったのに。話しながら用意を始めると、兄夫婦も現れる。たぶん、ここにこの時間に来るためには、朝かなり早く起きないと間に合わなかったはずだ。突然3人の訪問を受けて、嬉しいのはもちろんだったが、緊張も少しほぐれる。雑談をして、そろそろ時間だということで、3人に朝ご飯を食べに行くように促し、看護師さんと手術室に向かう。

手術室への扉を入り、準備室のようなところで手術用のうわっぱりみたいなものに着替え、なんだかよくわからないけど沢山人がいる前で名前や手術部位の確認をし、実際の手術室へと向かう。手術室は確認できただけで10以上あり、そのうちの1つへ。部屋はかなり広く、中央に手術台がある。すでに何人かいるが、誰も知らない人だ。手術台に乗って寝るように指示され、靴を脱いでよっこいしょと横になると、心電図などの機材が体に付けられて行く。寝た状態で正面を見ると、でかいモニターが天井から下がっていて、そこにどうやら心電図などのデータが表示されるようになってるみたいだった。ほう、ハイテクだ。

これから点滴をしますと麻酔医が針を右手の甲に入れようとしたが、右腕は全体的に血管が出にくくてなかなか入らない。しかも、入らない(失敗している)時は、なんとか入れようと押し込むからか、かなり痛い。3回ほど失敗して、最後の一撃があまりにも痛すぎたのと、手術前の緊張からか、涙がぶわっと溢れる。それを見た偉そうな先生みたいな人が代わってくれると、一発で針が入る。こういうふうに入れば、たいして痛くないのにと、上を見ると、いつのまにか現れていた手術着のボンボンが私の顔を覗き込んでいた。酸素マスクを付けると、点滴から麻酔薬が入って来たようだ。麻酔医が私に「麻酔薬入りましたよ」と話しかけてきたが、すでに呂律がよくまわらない。「そうですね。もう寝てしまいそうです」とふごふご答えると、「じゃあ、一緒に20まで数えましょうか」と言われたが、「いち……」までしか覚えていない。

気がついたら、回復室にいた。
看護師さんとの会話は覚えているのだが、記憶がとぎれとぎれで、覚醒したり、寝たりを繰り返していた。体が動いたかどうかはほとんど覚えていない。この時点で痛みというのはあまりなく、寝て、覚めてを繰り返していたことを覚えている。だというのに、人間というのは不思議なもので、しっかりとした会話をしようとするようだ。私も例にもれず、「手術は何時に終わったのですか?」「リンパ節は取ったのでしょうか?」と、ぼやけた意識の中で、真面目な口調で質問をしていたことを覚えている。なんども寝たり覚めたりをくりかえしていると、病室に戻ることになった。

手術は予定どおり、10時30分ごろ終わったと言われていたが、病室にもどったのは、12時を回っていた。傷口がかなり痛んできたので、看護師さんに痛み止めの点滴を入れてもらっていると、両親と兄夫婦、友人が病室にやってきた。ここでもまだ寝たり覚めたりを繰り返しているのに、やはりまともな会話をしようとする。しかし、どうみてもまだ覚めきってないだろうし、私がとりあえず元気そうなことを確認すると、皆でお昼ご飯を食べに行き、その後病院を後にしたようだ。

午後になると、意識もはっきりしてきた。腕は動くのかなと、もそもそやってみると、右も左も動く。左はさすがに手術をしているので、大きく動かすのが怖いのだが、きちんとどちらの手も顔の位置まで上がることを確認して、枕元に時計代わりに置いて帰ってもらったiPhoneを使い始める。おお、意外と大丈夫そうだ。右手は点滴の針が入っているので、気をつけながら、TwitterやLINEの返信などを書いてみる。ただ、まだ麻酔が覚めきってないようで、視野が狭い感じ。足には、エコノミー症候群を防止するためのマッサージ機が付いていて、プシューっとうるさい。さらには、尿道にカテーテルが入ってるので、まったく尿意を感じない(これは本当にびっくりした)。あとは、酸素マスクのようなものが口に付いているが、息苦しさみたいなものはない。そして、腰がとにかく痛くなってきた。

数時間に1回、看護師さんが点滴を交換に来る。その際に腰が痛いと言うと、寝返りを大きくするように指示されるが、さすがに左側に転がるのが怖い……。が、同じ姿勢でいると、とにかく腰が痛くて痛くてたまらない。右にはすぐに転がり始めたのだが、やはり一方向だけだとすぐに腰が痛くなるので、意を決して左に転がってみると、あれ?!思ったより痛くない。ええーっと思ったが、同じ姿勢でいることの方が腰に来るので、ゴロゴロとベッドの上で転がり続けていた。

夕方になると、回診でボンボンがやってきた。ボンボンは私が「パッチリ」目覚めているのを確認して、酸素マスクを外してくれる。そして、看護師さんと同じく思いっきり寝返りを「ゴロン」とすることを指示し、水を「ゴクゴク」飲むと吐いてしまうので、喉が渇いたら氷を「カリカリ」食べるように告げて去って行った。このあたりから気がついたのだが、ボンボンは擬音語や擬態語がとても好きなようで、何かを説明するごとに、擬音語や擬態語を多用する。たぶん、患者さんに対して分かりやすさと親しみを出すために、自然にそういう語彙を使ってしまうのだろうが、これに気がついてからは、会話中にわき上がる笑いを我慢するのが大変だった。今、思い出しただけで、お酒を「ガバガバ」飲む、タバコを「スパスパ」吸う、お風呂に「バシャン」と入る、などなど。日本語らしい表現なので、とてもよいのではないかと思います(棒読み)。

そして夜。昼間に寝たり起きたりを繰り返したことで、まったく眠くならない。しょうがないので消灯後にこっそりと、手元のiPhoneでマンガを読み始める。入院する前に購入しておいたマンガ『深夜食堂』だ。すると、今度はお腹が空いてくる。点滴を昼間から5本以上していて、不思議なことに喉は乾かない。しかし、このマンガに出てくる食べ物は、とても日常的な普通の食べ物(赤いタコさんウィンナーだとか、目玉焼きが乗った焼きそばだとか)で、見ているだけでお腹が空く。これがフランス料理など、ちょっとでも現実から離れていれば、それほど食欲に直結しなかったのかもしれないが、庶民的な食べ物が出てくるマンガはまずかった(笑)。

事件は夜中に起こる。空腹を我慢しながら深夜食堂を読み、大きく寝返りをしたそのとき。
手元からiPhoneが離れ、隣の方のベッド下に放物線を描いて落ち、転がって行った。
なんてことだ。これこそ、マンガみたいな風景。

さすがに、ナースコールはできずに眠れないまま、やることもなく、寝返りを数時間(恐らく。時計がないのでわからず)繰り返していると、明け方にやっと少し眠れた。

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