2016年12月31日土曜日

提前祝您過個好年!(良いお年をお迎えください!)


気がついたら、明日は新年でした。

忙しい日々を過ごしているわけではないのですが(むしろ今までで一番平穏な日々です)、これまでやりたくてやれなかったことを細々とやっていると、すぐに時間が経ってしまって、何かを書きたいという気持ちになかなかなれませんでした。

来年は、また、少し何かをまとめて行けるといいなーと思っています。

ほとんど更新もしなくなってしまった、このブログをチェックいただいた方、本当にありがとうございました。

みなさんにも明日を迎えられる日々が続きますように。

良いお年をお迎えください!


2016年10月13日木曜日

意味がないこと

復職して、一カ月ほどが経った。

復職する前に、産業医との面談があったが、はっきり言って私にとっては、何の意味があるのかがわからなかった。なぜなら、精神的に問題があって休職したのちに、復職したい意志がある人は普通、産業医の前で「気分が落ち込んでいて」とか「仕事をする気がしない」などとは言わないからだ。そんなことは愚問でしかないのに、聞かれるのだ。

「気分は落ち込んでいませんか?」
「仕事をする意欲はありますか?」

これらの質問に「はい」と答えられない状態なら、復職できるわけがないというような愚問が繰り返される。
「はい」と自分が答えられることがわかっているから、この場に来ているのだ。
自分の状態がどうなのかがわからないのなら、そもそも産業医の面談に来るべきではないし、むしろまだ休職する必要があるのだろう。

休職前に産業医との面談はなかったし、会社から産業医の元に行くような指示もなかった。だから、この産業医は、私がどんな経過をたどって今ここに面談に来ているのか、私が話した内容で、初めて知ったようだ。休職前にどんな仕事をしていたのかも説明をさせられたし、どんな症状があって休職にいたったのかということも今さら聞かれた。今、この時期に私が労力を使い、過去を振り返って話したところで、何のメリットがあるのか。だったら、休職する際になんらかの形で、一度聞いておくべきじゃないのか。過去と今とを比較しないで、いったい私の何を診断しているのだろうと、次々に疑問が浮かび上がってくる。

もちろん、そんなことにいちいち細かく答えるのも面倒なので、適当にはしょって答えた。
以前に、整体やリフレクソロジーなど、リラクゼーションのお店で「大きな病気をしたことがありますか?」という問いに「どう答えるか?」を書いたが、この産業医の面談も同じようなものといえよう。適当に答えたところで、多勢に影響などない。

しかも、会社に対しての小言まで言われ、なぜか私が謝るという、本来の面談の体を成していない時間が流れる。さらに、主治医からの診断書にあった「時短勤務から始めるのが望ましい」は、「今の状態なら問題ない」「フルタイム勤務で始めて大丈夫」と切り捨て、太鼓判を押してくる。今までのことを何も知らなかったのに、今すぐに決められるのはなぜかと、疑問しか思いつかない。

そもそも私が雇用されている会社で、産業医の存在意義はどこにあるのか。大企業であれば、産業医が常勤していて、社員が健康的に働けるよう環境を整えるなど、やることはあるのかもしれない。もちろん中小企業の嘱託産業医だって、もうちょっと意味のある質問をする医師もいるのだろう。なにより、企業に産業医が存在するのは、法的に決められているからで、面談を行うのは、会社の就業規則として、休職から復職するのに産業医の診断書だか意見書だかを必要としているからだ。

この面談で求められていたのは、「会社できちんと仕事ができる人」を演じられるのか、ということだ。そんなことは、私もいい年をした大人なのでわかっている。だから、どんなに疑問が沸いても、理不尽なことを言われても、質問も反論も口にしなかった。人が社会で「健常者」として生きるには、鈍感なふりをするのが一番だ。

そして、法律や規則というのは、時に、まったく意味がないことだという好例だとも思った。

傷病手当金の話はほそぼそと書いているのだが、実際、こういうまとめというのは、私が作り出すものではなくて、もともとあるものをわかりやすくしているだけだ。だから、書く以上に、その準備というか、前段階に莫大な時間がかかる、というのも言い訳だが、こういう単なる愚痴やどうでもいい旅日記は、3分ぐらいで書けるので、たまに書いているんだけど、これこそ意味がないことの極みでもある。

2016年10月10日月曜日

沒吃烏龍麵,不准回家(うどんを食べなきゃ帰れない)

この連休は、ちょうど台湾から(台湾も三連休)友人が四国に来たので、ついでに私もしばし合流した。

実は四国は、高知を出張で訪れたことがあるだけ。観光もしたことないし、他の場所に行ったこともなかったので、ちょうどいいかなーと思い。

松山といえば、道後温泉。あまりにも混んでいて、洗い場を使うのに行列するという、初めての経験。



ここは全く知らなかったのだが、四国のスイスとも呼ばれているらしい、四国カルストという高原地帯。愛媛県と高知県の県境にある。

晴れていれば、澄み渡った空の下、平原が見えるはずなのだが、天気はあいにく曇天で霧がかかり、逆に幻想的な感じだった。


その他諸々はあるのだが、とりあえずは食。

沒吃烏龍麵等於沒來過香川縣!
(うどんを食べなければ、香川に来たとはいえない!)

で、これから最後に瀬戸内国際芸術祭に寄って東京に帰りまーす。

2016年9月18日日曜日

待會再來拿(後で取りに来ます)

とりあえず、復職することになった。

人の平均年齢を80歳ぐらいと考えれば、ちょうどこの休みは人生における折り返し地点、つまりは「夏休み」に相当するのではないかと思い、そんな気分で過ごすようにしていた。しかし、もう若くない自分はどうしても結果を重視してしまい、得られるものに対して是非の判断を下そうとしていることに気がつき、そのために仕事を休んだのではないのだと自分自身で納得できるまでに相当時間がかかった。

実は9月の頭まで台湾に滞在するつもりだったので、帰国後の7〜9月の頭までの間にすでにいくつが予定があり、断ることももちろんできたのだが、断るという行為が面倒なので(結局ここに行き着く・笑)、その予定をこなすために、何度も台湾に戻っていた。

そして、先日訪れた際に、もう復職するのでしばらくは台湾に戻れないだろうという話を友人にしたところ、ならば食事に行こうと誘ってもらった。たどり着いたのは、友人の家から車で少し行った山の中にある、日本で言えば隠れ家レストラン的な所。


オーナーはもう少し都会でレストランを開いていたのだが(このレストランも美味しい)、その店を息子に譲り、予てから購入していた1500坪(!)もの土地に、一軒家の完全予約制レストランを開いたとのこと。ちなみに、日本の料亭に近い作りになっていて、日本庭園か!みたいな庭と、台湾茶を楽しむためのお茶室もある。




提供されるのは浙江料理とのことだったが、メニューはなく、実際に提供された料理を見ると、なんとなく日本の和食に近い感じ。ただ、調味料や材料がやはり台湾なので、それはそれで面白い。基本は素材の味を大切にした味になっているので、素直に美味しいと思った。値段もそれなりに設定している店なので、当たり前といえばそうなんだろうけど。





あまり知られていないかもしれないが、台湾の料理は、全体的に日本の味付けに比べて、薄味なものが多い。色だけ見ると、「味が濃そう」に見えるものも多いのだが、必ずしも味が濃いわけではない。特に、塩味が強いものはあまり好まれない傾向にある。そして、南へ行くほど、味付けが甘くなると感じている。

なので、台湾では日本のラーメン(特に豚骨系)屋が大人気なのだが、台湾で提供されている日系ラーメンのスープは塩味抑え目だったりする。そして、台湾人が日本でラーメンを食べると、かなり塩辛いと感じるという話をよく聞いた。

また、ベジタリアン(素食)も多く、街には専門のお店もよく見かけ、今回行ったレストランにもベジタリアン用のメニューがあるとのことだった。

おお、台湾の食べ物はヘルシー!な感じで終わるかと思いきや、実は台湾の料理は、結構油っこいものも多いので、意外と体にはよくなかったりするものもある。


(で、何を言いたいかというと!)


多分、多くの日本人にとって、台湾は「お茶とマンゴーと小籠包!」の国+「日本と日本人大好き!」な国、みたいな感じなんだろうけど、実際はそうでもなかったりするところもあるし、当たり前だが、やっぱり隣の芝生は青いってことで。




そして、あるお店で飲んだスイカジュースが本当にスイカだった!

(ちなみに、パイナップルジュースもパイナップルだった!)

次回は傷病手当金の話を本当にします……すみません。

2016年8月30日火曜日

歡迎你們來東京玩!(東京へようこそ!)

日本に帰国して、もうすぐ二ヶ月になる。
7月の頭に帰国してから、もうそんなに経つのかと思うと、台湾で一年近くを過ごしてきたということ自体が、はるか遠いむかしの話にも感じられてくる。

私は、本当に台湾にいたんだっけ?
と、ぼんやり思ったりするのだが、今月は立て続けに台湾より来客があった。




東京を象徴する、新旧二つのタワーを同じ日に昼と晩、間近に見ることになったのだが、私は個人的に東京タワーの方が好き(という話をどこかで書いたようなきがする)。ちなみに、中国語で東京タワーは「東京鐵塔」、東京スカイツリーは本来ならば「東京天空樹」だが、なんと中国で「天空樹」は商標登録をされていたそうで、正式な名前は「東京晴空塔」だそうだ。なんか、中国語は「スカイツリー(Sky Tree)」な感じがまったくしないのが逆に面白いかも。

有空的話,歡迎再來東京玩喔~!(暇があったら、また東京に遊びに来てね〜!)


2016年7月3日日曜日

謝謝你們這段的照顧(お世話になりました)

そして、日本に帰国した。
誕生日を2年連続で台湾にて迎え、気がついたら2歳も歳をとっていた。
もう立派なおばさんである。

帰国当日の朝、突然会社から連絡が来た。
すでに休職も1年を超えているので、今後のプロセスとやらの見通しを立てたいとのことで、一体何を言いたいのかさっぱりわからなかったが、とりあえず復職する希望を伝え、面談を設定してもらうことにした。

私は正社員で働いていた(過去形なのか!?)ので、会社も簡単に辞めさせることができないのはわかっているが、現場を1年以上も離れていたことを考えると、同じ職種で復職するのは恐らく無理だろう。退職勧告とかされるのかもしれないけど、それはそれでしょうがないかな、とも思ってる。もともと仕事を離れる時、私がいた部署は解散が決まっており、次のジョブタイトルも決まりそうなのを放り投げて休職したので、戻る場所もないというのが事実なのだ。社内には仲の良い人もいないので、社内組織が現状どうなっているかも全くわからない。仕事以外での人付き合いが苦手な私は、社内政治にももともと疎かった。

ここ1年はお気楽に台湾の話を書いていたが、現実はこんなもんだ。
中国語はもう少し勉強したかったのだが、それはまた何らかの形で続けていこうと思っている。

そんなわけで、私の人生はこの先どうなるのか、まったくわからない。
とりあえず、今まで通り、適当にダラダラと生きていきたい。

昔のブログの移行でもしようか(←今更!)。
未だに昔のblogは結構読んでくださってる方がいるようなのだがもう、2013年の話で、とにかく情報が古いと思うので、どうしたものかと。

2016年6月26日日曜日

術後の検査(3年後:検査&手術病院でのフォローアップ)、放射線腫瘍科(フォローアップ6)

台湾で生活をしているとなぜかPCに向かって文章を書くというのが面倒(出た!)になり、このBlogしばらく放置することになってしまった。もし、チェックいただいていた方がいらっしゃれば、申し訳ありませんでした。

5月の終わりに日本に一時帰国し、クリニックでの検査と手術病院でのフォローアップへと行き、特に問題はなし。本来なら、去年の12月に放射線腫瘍科のフォローアップを受けなければならなかったのだが、そのタイミングで帰国できず、ついでに放射線腫瘍科へも顔を出してきた(新しい先生は、本当に私が話していたことをよく覚えてくださっていて、最近、あまりにも記憶力が低下している私は、尊敬してしまう→まあ、新しい先生は若いしw)。

前回、突然私に起きたことというのは、なんとなく書きそびれていたのだが、実は生理が戻ってきたということだ。ちょうど、旅行先での出来事だったので、かなり動揺してしまった。今回のクリニックでの血液検査結果のエストラジオール(卵巣から分泌される卵胞ホルモン(エストロゲン)の主成分のこと)の値が、5→134と、27倍近い数値になっており、加えてFSH(卵巣刺激ホルモン)も、ものすごい伸びだ(約6倍)。ただし、FSHの場合は、LH−RHアゴニスト投与中、そもそもの数値はとても低かったので閉経してしまったのではなく、閉経状態だったのだのだなーと今更ながら思った次第。先生方も、いやー、このエストラジオールの上がり具合だったら、そりゃ、生理も戻ってくるよねーと。

おお、3割(閉経前に乳がんのホルモン治療を受けた場合、私の年齢だと7割は閉経すると言われてたので)に入ってしまったのか、これは喜ぶべきことなのか、一体?すでに去年から、もし、生理が戻っても、LH-RHアゴニストはもう二度と使いたくないという私の意志と、「もう2年使って、その間閉経状態にあったわけなので、生理が戻ってきても不要ということにしましょう」という結論で、抗エストロゲン薬(SERMs)のみでの治療継続ということになった。

そんなわけで、マンモグラフィーもエコーも腫瘍マーカーも問題なく、3年目を無事迎えることができた。

その間にも日本では、また芸能人の方に乳がんが発覚したという報道があり、「がん」という病気の持つ破壊力の強さに辟易する。こういった場面に詰めかける記者などのご家族で、がんと診断された方はいらっしゃらないのかと不思議に思うのだが(いても感覚が麻痺してるとしか本当に思えない)、少なくとも、当事者がこのような過剰な報道に関わっていないことを祈っている。そして、当人が少しでも良い環境で治療を続けられますように。

以下はまたどうでもいい台湾話を少し。


2016年4月5日火曜日

為什麼對我那麼有興趣呢?(なんで私にそんなに興味があるのかな?)

この週末から台湾は4連休で、しばらく学校もお休みだった。いわゆる日本で言うところのお彼岸のようなもので、清明節(ちんみんじえ、みたいな発音)と呼ばれる。日本ではお彼岸は春と秋にあるが、台湾では春のみで、この祝日は一家揃ってお墓参り(掃墓、さおむう、みたいな音)に行き、潤餅(るんびん、みたいな音で、柔らかい焼いた春巻きの皮で野菜やお肉を巻いたもの)を食べるのが習わしだ。

以下はまたどうでもいい台湾話なので、読みたい方だけどうぞ!

2016年3月28日月曜日

一般名と商品名

以前一度話題にしたことがあったのだけど、まだ同じ騒動が続いているのかと思ってびっくりした、ということで一応エントリーにしてみる。前のブログから記事を移動していないので(結局、面倒になって引っ越しする気が失せた。このブログの更新と同じく・笑)、前のブログから引っ張ってみるが、最後の方でちょっと触れている。もう2年以上前の話なので(注意喚起があったのは2013年!の話)、今更記事になるということは、かなりまだ同じことが起きているのだろう。

繰り返される「ノルバデックス」と「ノルバスク」の取り違え
(要ログインかもしれないですが、誰でも会員になれます)

ログインしたくない人に簡単に説明すると、乳がんの補助療法でよく使われるSERM(抗エストロゲン薬)と高血圧や狭心症に使われる薬の商品名が似ていて(前者は「ノルバデックス」、後者は「ノルバスク」)、実際に取り違える処方が繰り返されているって感じらしい。

昔のブログから引っ張ってきたエントリーには一般名(成分名)と商品名の話を書いたけど、処方箋を書く際に一般名処方にすれば良いだけの話のような気がする。つまりは「ノルバデックス」って書かないで、「タモキシフェン」にすればいいような。

ちなみに、私の処方箋は、一般名処方になっているので(でもそれで加算もされてるようなのだが)、「トレミフェンクエン酸」である。先発の商品名「フェアストン」は一切書かれていない。

みなさんの処方箋はどんな感じなんでしょうか?と、ちょっとお伺いしてみたいところです。ところで、自分がかかっているクリニックや病院の処方箋は全て一般名処方になっているので、結構普通のような気がするんですが‥‥‥。

2016年3月6日日曜日

我會想你哦。(I'm gonna miss you.)

最近、英語をあまり使う機会がなく、話さなくてはならない機会に英語の単語だけが突然中国語になってしまったりと、どっちつかずの状態になりやすい。とは言ってもまだまだ中国語も中途半端なので、本当に会話が難しい。

今日はちょっと悲しい別れがあった。
おそらく、もう私が台湾に滞在している間には二度と会うことのないだろう台湾人と食事に行って帰り際にいろいろと話していた。その人とは、中国語+英語で話すことが多く、ちょっと込み入った話の時は英語を使ってくれる。

私:You're leaving Taiwan,  I'm gonna miss you.
(台湾を離れてしまうなんて、寂しくなるわ。)

彼女:Me, too. When we will meet at Tokyo, can you guide me?
(私も。東京で会う時には、ガイドしてくれる?)

私:當然可以喔!
(もちろん!)

つか、なんで私の返事が中文!いや、いいことだとも思うけどさ。
英語で答えたかったのに、本当にとっさに出てこなかった……。

ところで、I'm gonna miss you.は中文で「我會想你哦。」になるのだが、これ、日本語にするのが本当に難しい。I miss you.(我想你哦。)って、本当は日本語の会話であまり使わないことが多いと思うのだが、これは日本語の何に相当するのか……。

この先、まだいくつか別れが待っていて、色々と心情が複雑。私の台湾生活を支えてくれた人たちなので、本当に辛い。彼らのおかげで、私はここで生活できてきたと言っても過言じゃないので、せめて送り出す時は楽しく過ごせればと思っている。いずれ私も離れることになるのだから。

日子過得很快啊!
(月日が経つのは本当に早いな〜)

現場からは、以上です。

2016年2月29日月曜日

Three years on

なんやかんやと忙しい一時帰国も終え、また台湾に戻るった。
ご存知の方も多いと思うが、今月の頭に台湾では比較的大きな地震があり、台南という場所にある、マンションが倒壊してたくさんの方が犠牲になった。

当日私は沖縄にいたのだが、いつ台湾を離れるかということを特に知らせてはいなかったので、いろいろな方から心配の声をいただいたのだが、私は沖縄に一緒に行った台湾人の友人に朝、「ちょっと〜、今朝台南で超でかい地震があったみたいなんだけど!」と起こされたというのが実際のところだった。

私が住む街もそれなりの揺れがあったようなので、慌てて在住の友人にLINEで聞くと結構揺れたが特に問題はなかったとのことで、ホッと安心しながらも、多くの方が犠牲になった台南に関しては、心からお悔やみを申し上げたい。

台南にも遊びに行かないとなー。

その後、メンタルクリニックの先生から、なぜか電話がかかってきて(恐らく、精神的な影響を気にしていたのだろうと思うのだが)、寝ぼけ眼で「いやー、実は日本にもういるんです〜」ととぼけた答えを返したりしていた。

沖縄滞在は意外と寒く、全く南国な感じではなかったのだが、念願の美ら海水族館などにも行けて楽しかった!


寒さに震えながら、イルカのショー

東京へ帰った後は相変わらずお医者さん三昧で、あとは友人などとちょっと会ったり、加えて人間ドックなどにも行き、気がついたらまた台湾にいるという感じなのだが、よくよく考えてみると、乳がんの告知からもう3年が経った。

しかし今、ちょっと悩んでいることがあり、今更といえばそうなのだが、そんな悩みを抱えながら過ごす3年目となりそうだ。

明日を迎えられる日々がずっと続きますように。

2016年2月4日木曜日

對不起,我們努力不夠(申し訳ない、私たちの頑張りが足りなかった)

気がつけば年もすっかり明け、もう2月。学校も休みになるので、しばらく日本に帰る予定。東京に帰る前に、台湾人の友達と沖縄にしばらく滞在したのち、東京に戻る。

ちなみに、台湾では旧暦で新年を祝うので、お店などもお正月休みに入る。私が住む町ではどうなるのか見てみたかったけど、残念ながらお預け。でも、すでに年越しの雰囲気は味わうことができる。

なぜ、こんなに更新が途絶えてしまったのか、その理由の1つに、実はノートパソコンのキーボードが壊れたからというのがある。それに加えて、書くことがないからというのもあるのだけれど。

私が使ってるのはMacで、修理をするにも日本でないと無理と言われてしまったので、急遽台湾の知人からブルートゥースのキーボードを借りて使うことにした。本当は仕事もあるので、なんとかしないとまずいのだが、キーボードとパソコン本体が離れすぎて非常に使いづらく、パソコンを使う気になかなかならないのだ。


借りたキーボードは台湾仕様なので、注音が書いてあって、中文入力にはには便利w。

1月に、台湾では色々とあった。まずは総統選。日本でもかなり報道があったと思うが、野党第一党の民進党の蔡英文氏が新しく総統になった。台湾では初めての女性総統だ。民進党は台湾の独立志向が高いため、今後どうなるかが注目されている。ちなみに、今回のタイトルは現与党の国民党の党首であった対立候補の朱立倫氏が敗戦演説の冒頭で語った言葉。聞きながら、なるほどねーと思ってしまった。

台湾において女性の地位は高く、男性と対等にあると言っても良い。共働きの家庭も多く、実は出生率も非常に低い。台湾は国際社会において国としてほとんど認められていないため、WHOに加盟していない。そのためか、数字が表に出てくることは少ないのだが、日本よりもずっと低いのだ。


そんなこともあるからか、台湾の女性は基本的に非常に気が強い。男性が優しい人が多いからか、女性の強さが余計に際立っているように見える。前に一度、彼女が彼氏を土下座させている場面に遭遇してビビったが、それぐらいに強気なのだ。台湾の男性も兵役などがあって色々大変だと思うけど、本当にご苦労様なことだと思ってしまうw。

あとは、強い寒気が流れ込んできて、なんと、雪が降った。平地では降らなかったのだが、ちょっとした山間ではそれなりに積もり、普段雪を見ることが少ない台湾人は大はしゃぎだった。雪が降ったのは日曜だったのだが、翌日会社を休んでまで雪を見に行く人が続出したらしい。あはは。台湾らしいといえばそうかも、という出来事。

そんなわけで、iPhoneからの投稿は疲れるのでこれくらいで。台湾話はもう飽きたと思いますが、まだしばらく続きます……すみません!

現場からは以上です。

大変遅くなりましたが、2016年が皆様にとって良い年となりますように。
明日を迎えられる日がずっと続くことをお祈り申し上げます。