2013年2月28日木曜日

診察と検査2

初めて大きな病院に、病気で診療に行った。壁に激突して、救急車で大きな病院の救急科に担ぎ込まれ、3針ホッチキスで留めたことはあったけど、がっつり診療を受けるのは、生まれて初めてのこと。
あまりにも大学病院は大きくて、外来専門のセンターにたどり着くまで、病院の敷地らしき場所に入ってからさらに10分以上かかり、よくわからなくて口が空きっぱなしだったんじゃないかと思う。

そして、指定された10時前に初診の受付をして、さらに30分ぐらい待つと、担当の先生の前に違う先生による予診があった。現在、どのような診断を受けていて、どういう経過を辿って来たのかを聞かれ、目の前でその内容が電子カルテに書き込まれる。さらに、今日の検査の予定表が渡される。それぞれ検査を受ける場所が違うので、どでかい外来センターの中を行ったり来たりをしながら、気がつけば、もうお昼もとうに過ぎていた。そして、午後になり、今日受けた検査の結果が出たということで、やっと紹介された医師と初めて顔を合わせる。たぶん、私より少し若いんじゃないかと思う男性の医師で、メガネをかけていて、とても温厚な印象。

その第一声が、前回のエントリーの最後の言葉。クリニックでも病院でも「よくこの状態で〜」という言い方をされているんだけど、だからといってそれが「よかった」という意味では決してない。その理由は私の乳がんが小葉癌だからというのがある。見つかった腫瘤は左上の端にあるらしく(私自身、未だに自分では触ってもよくわからない……)、ここにあったから見つかったんだろうねぇ、あとは、やっぱり診断を受けたクリニックの先生の力量ということを言われる。

基本的に乳がんの大多数を占める乳管癌の場合は、手術前の臨床(MRIなどの画像)診断で大体の範囲がわかることが多いのだが、小葉癌の場合は実際に手術をしてみないとわからないことが多いらしい。だから、現状は1cm未満と言われている腫瘤も、開けてみたら10倍ぐらいあった、ということがざららしいのだ。もちろん、現状どおりということもあるのだが、それがどちらになるかは、正直言ってわからないと言われる。

先生の触診によると、すごくしこりが触れにくいので、これは通常の触診だと見逃されちゃうね(そのとおり、この2年まったく異常を指摘されなかった)、あと、なんとなく広がってる感じがするのと、実は触診が当たることもあるんだよね、ということで、カルテには触診で約10mmの腫瘤+乳頭方向に約15mmの広がりの可能性あり、と書いていた(この辺りは専門用語で書いてるんで、私の方で平文にしてますが)。電子カルテって患者の目の前で入力してくれるので、ディスプレイを見ながらメモも取りやすくて便利だなぁと、本当はあまりいい内容じゃないのに、感心してしまった。

現状の病期はT1N0M0(ステージ1=腫瘍の大きさが2cm以下、リンパ節への転移認められず、遠隔転移なし)と書き込まれるが、手術後の病理診断結果でT3N2M0(ステージ3=腫瘍の大きさが5cm以上、リンパ節への転移あり、遠隔転移なし=これに関しては、恐らく現状ではないはず……)など、一気に病期が変わることも珍しくないという。これは、私も検索したblogなんかで、手術前にはT1(早期)と診断されていたのに、手術後にT3になっている小葉癌を何人も見た。だから、こういうことが起きたとしても、まったく不思議ではないし、小葉癌の典型でもあると覚悟している。

ただし、針生検で取った組織の特殊検査の結果は、ホルモンレセプター(ER/PgRともに)陽性、HER2陰性なので、がん細胞としての悪性度は低めになりそうだということ。とは言っても、これもまた眉唾で、手術後の病理診断結果で20%ぐらいが変わると言われている。

最後に今後の治療方針の話になる。先生としては、小葉癌だからという治療法を取るのではなく、間口を広く考え、これからの結果結果によって、その先を決めて行く方針で行きたいと言われた。私もその点では一致しているのだが、とにかく小葉癌の予後が何よりも心配であるということを話す。

すると、情報が少ないのは事実だが、先生の経験上、基本的に小葉癌の場合、がん細胞の悪性度は低めで私の現在の特殊検査の結果も例に漏れず。だから、再発する場合も数年という単位ではなく、もっと時間が経ってから、10年単位でというケースが多いらしく、つまりはがん細胞の増殖速度は比較的緩やかであるということなので、今から予後の心配はそれほどしていない。ただし、両側に発生する可能性が乳管癌よりも高いのは事実なので、反対側は今後注意すべきことである、と。この反対側にがんがまた発生した場合は、再発ではなくて、すでに現時点であったものであると考えることになる、との話だった。

手術は先生としては、現状では乳房温存を考えていて、先ほどの広がりがあったとしても、温存で行ける、と。ただ、その前にMRIで切除範囲をもう一度確認して、最終的に決めましょうということで、今回の診察は終わり。ただし、さっきも書いたとおり、小葉癌の場合はMRIでも広がりがなかなか確認しにくいらしい。だから、そこで広がりが確定でき、思ったよりも広がっているようなら、全摘ということも考えなくてはならないねと、いずれにせよ、どれもこれも賭けみたいなものだなぁとぼんやり思った。

次回までにPET/CTで全身の状態を確認して(遠隔転移があるかないか)、MRIで乳房内の広がりを見て、その結果を持って、3月3週目に最終的な手術の切除範囲と今後の治療方針を決めることになった。

乳がんと診断された当初は必ずセカンドオピニオンを……と思っていたが、私の小葉癌の場合、臨床だけだと意見を聞いても実際に手術で変わることも多いため、手術前に誰に聞いてもあまり意味がなさそうな気もしてきた。なので、今のところはこの先生に手術をお願いするつもりでいる。私の心配は、とにかく手術よりもその後のことだ。何が何でも温存ということも考えていなくて、もちろん、できればそれに越したことはないけど、癌の広がりの状態によっては全摘になっても構わないと思っている。ただ、その場合は同時再建がしたいので、そのあたりは手術の話を最終的に決めるときに、もう一度確認して、どうも私の希望どおりにはならないようならば、その時点でセカンドオピニオンを申し込もうと思ってる。ただし、そうすることで、手術がどれだけ遅れるのかがわからないというのも不安だ。とはいえ、治療方針が決まってもいないので、セカンドオピニオンは申し込めないし。

とりあえず、PET/CTとMRIを受けた結果を待つことにする。

しばらくは検査だけなので、その間に標準治療の手術後のことを調べはじめた。

2013年2月27日水曜日

診察と検査1

乳がんの診断をしてくれたクリニックは、診断にて終わりになる。
次は、全身の検査を行ったり、手術をしたりするために、病院施設に行く。

私が選んだクリニックでは、基本的に次のステップは患者個人が決める。
ただ、私個人としては、どの病院に行けばよいのかがわからなかったのでクリニックの先生に意見を仰いだ。

今住んでいる場所と勤務地を話すと、通いやすそうかつ、先生もよく知っている腕利き(らしい←伝聞なので真相はわからない)の乳腺外科医がいる病院をいくつか紹介してくれたので、その場で決めると、その乳腺外科医に直接電話をしてくれ、次の診療の予約を取ってくれた。

ちなみに、このクリニックの先生はかなりクセがあるとは思うけど、私は行ってよかったと思っている。乳がんの告知はあっさりしていたが、突き放しているわけではなく、1時間以上説明などに費やしてくれた。半分以上は、私の珍しい乳がんについての説明だったのだが、残りは先生の診断に関してのあれこれ。中でも心に残ったのは次の内容。

「患者の命を救うために、医者をやっているわけではない。ハッキリ言って、そんな想いは医者になって2年ぐらいで消えた。今、なぜ医者をやっているかと言えば、それは趣味だから。自分の趣味は、乳がんに関する検診と診断なので、その分野において趣味を追求することで、結果として非常に高い精度の診断や検査を提供できているという自負がある」

色々と意見はありそうだが、この考え方も一理あるなと思った。日本では、乳がん検診は結構適当に行われているというのが現実らしく、このクリニックの先生は、そういった現実に対して警笛をずっとならし続けている。なので、患者の命うんぬんの発言は恐らく詭弁だろうし、患者不在の検診と診断をやっているわけではもちろんない。患者に対しても、とても誠実で分かりやすい説明をしてくれる。ただ、同情というのは一切なかった。淡々と私の乳がんの特徴と、起こりうる最悪の状態をすべて説明してくれた。だけど、こういうドライな先生というのは、好みが分かれそう……もっと優しく話してほしい、とかね。

なんとなく他人事のような言い方だけど、私のようにちょっと特殊な乳がんを発見できたということがこの先生のモチベーションやプライドにつながり、さらに趣味へのめりこむための触媒になってくれればうれしい。私のような珍しい乳がんを、今後も1人でも多く早い段階で発見してくれますように。

そして、私の乳がんは、やはりこのクリニックに行ったから見つかったようだ。次に訪れた大学病院の先生の第一声。「よく、この状態で見つかりましたね。見落とされてもおかしくないですよ。ああ、●●先生のご紹介なんですね。精密検査にこのクリニックを選んで正解でしたね」と。
そうだったのか!

2013年2月25日月曜日

病名

私の乳がんの正式な病名は以下のとおり。
浸潤性小葉癌
しんじゅんせい/しょうようがん、と読む。

乳がんは、その名の通り乳房にできるがんの総称だ。
乳房内は主に、組織を形づくるじん帯と脂肪、それらに守られた乳腺葉、乳頭へつながる乳管の4つの部分でできている。腺房という組織が乳管でつながれてまとまったものが乳腺小葉、乳腺小葉が乳管でつながれて集まったものが乳腺葉だ。

乳頭から乳管があって、そこからぶどうの房状につながっているのが乳腺葉で、ぶどうの房全体が乳腺葉、ぶどうの粒が乳腺小葉というイメージ。出産に合わせて乳腺小葉で産生された乳汁(母乳)は、乳管を通って乳頭から外へ出る。

その乳汁が産生される部分にがんができた、というわけだ。

乳がんというと、その90%が乳管から発生する「乳管癌」を指すのだが、私の場合は特殊型の1つになる。特殊型の中では比較的多く、乳がん全体の4~5%を占めている(少ないな……)。
日本では、少し前まで1~2%と本当に少数だったみたいなんだけど、最近は増えているとのこと。外国でも少数派で、やはり5~10%程度とされている。

小葉癌は、乳管癌に比べてがん細胞が小さく、次のような特徴を持つという。
・細胞が飛び散りやすいので、多発しやすい(しばし両側に見られる)
・遠隔転移をする場合に、乳管癌の遠隔転移(骨、肺、脳)とは違った場所に転移しやすい
・抗がん剤が効きにくい(そのかわりホルモンに対する内分泌療法が効くとされている)

以下の2つは、現時点ですでにコメントを付けられる特徴。
・50歳以上の閉経後の方に多い
※私、まだ30代なんです……もちろん、閉経もしてません。

・しこりが触れにくいことがあり、進行した状態で発見されることが多い
※この、しこりが触れにくいというのは本当でした。今だに私は、自分で触ってもよくわかりません。
※なお、マンモグラフィーには、去年も今年も何も写っておらず、エコーでしか出ませんでした。

予後は乳管癌と比べて確実に悪いというわけではないらしいのだが、どうもサンプル自体が少なくて、エビデンスもはっきりしてないんじゃないかと思う。とにかく、調べてもあまり情報が無いので、この先どうなるのかがよくわからない……。予後が悪いと書かれているものもあれば、初期であれば乳管癌よりも、予後がよいという結果があるとしているものも。ま、いずれにせよ、患者個人個人にとっては1か0なので、どうしようもないといえば、そうなんだが。

ただ、確かに、乳がんの方のブログとかを見ても、浸潤性小葉癌の方は本当に少ないし、自分と同じ状況にいるような方は見つけられなかった。そりゃ、そうだよね。5%だもの。でも、特殊型の中では多かっただけ、ましなのかな。

診断をしてくださった先生によれば、原発の腫瘍だけで、多発さえしてなければ、乳管癌と同じ治療になるとのこと。その確率は五分五分ぐらいかな、ですと……。とりあえず、全身の検査の結果を待たねば。

2013年2月22日金曜日

報告

告知から一晩あけて、今日。
なんだかノドが痛くて、熱があるようだ。

すぐに悪いほうに考えてしまうけど、昨日と今日で病状が大きく変わるわけがない。
この数日、かなり精神的に辛かったわけだから、とりあえず結論が出て、ほっとして熱が出たんだと思う。
ただ、これからは、そんなのん気なことも言っていられなくなるんだろうけど。

今日は会社で上司に報告。
私の直属の男性と、その上の女性。
昨日のうちに、今日の午前中に時間がほしいとメールをして、乳がんになったということも知らせておいた。
相手が初めて聞く際、おどろく反応を見るのが辛いので、先に文面で知らせておきたかったのだ。
同じ説明を2度するのもいやだったので、一緒に話してしまいたかったけど、たまたま男性の上司が先に出社してきたので、とりあえず、現状を話す。

家族以外に話したのは初めてだったので、やっぱり涙が出てしまった。
おそらくそうだろうと思っていたから、最初に「泣くと思うんですけど、気にしないでください」と告げておいたけど、涙がこれぞとばかりに出て、自分でもどうしようもなかった。

ただ、そこで、大体話す内容が決まったからか、次の女性の上司と話すときは、落ち着いた会話に。
その場にも直属の上司が同席。

とりあえず、治療方針がまだ決まらないので、会社をどれぐらい、どのタイミングで休むことになるかはわからないから、まずは、それが決まってからだねということで今日は終わり。

来週は、大学病院へさらに検査に行く。

2013年2月21日木曜日

告知

今日、クリニックで乳がんが確定した。

思ったよりも冷静なことに、自分自身でもびっくりしている。
確かに、私は守るものもない身分だからなのかもしれない。
きっとこれから、色々と悩んだり、苦しくなることもあるだろうけど、その初日である今日は、意外と平気なのが不思議だ。
あとでこの日の日記を読み返して、色々思うんだろうな……。

検査結果を聞いて、駅に向かう途中に母に電話をした。

「やっぱり、乳がんだった」
今度は涙も出てこなかった。

電話を切るときに思わず言ってしまった。
「私はママを看取るまで、絶対に死なない」

やっと、涙が出た。
本当に看取れるのだろうか。

現状などの詳しい内容は、週末にまとめてアップする。

2013年2月14日木曜日

針生検

選んだクリニックは、町中にある普通の個人クリニックだ。
乳腺外科専門のようで、乳がんの診断人数も非常に多いようだ。

私がそのクリニックを選んだ理由は次の2つ。

  • 臨床だけでなく、病理がしっかりしている
  • 確定診断を付けることをモットーにしている


乳がんだけでなく、細胞の悪性化であるがんの場合は、
臨床診断(いわゆる画像診断)と病理診断(組織診断)の2つの診断が
合致することで、最終的な確定診断となるようだ。

特に乳がんは、画像による診断が難しい部分もあり、誤診もそれなりに
あるという(どの病気でもそうだろうけど)。
中でも、乳がんの病理診断の方法には以下の2つを使うことが多い。
・穿刺吸引細胞診(細胞診)
・針生検(またはマンモトーム生検)

細胞診は、その名のとおり細胞を少し取って検査する。生検は、実際の「組織」を取る。
細胞診では、悪性か良性かを判断するための検査とされているので、そこでグレーな
判定が出れば、通常は針生検(マンモトーム生検)を行って、診断を確定させる。
ただし、臨床ですでに悪性の疑いが強い場合は、細胞診を飛ばして針生検を行うことになる。
針生検では、悪性か良性かはもちろん、細胞診ではわからない特殊検査(ER、PgR、HER2)なども同時に行える。これらの特殊検査の結果からわかるのは、がんの顔つきだ。

このクリニックは、その生検の診断をつけるために、日本でもトップレベルの
乳がんの病理医がいる乳がん病理診断専門施設に出していることを公言している。
それが、最終的に私がこのクリニックを選んだ決め手になった。
恐らく、他のクリニックでもそこに出しているところはあると思うけど、とにかく、病理でグレーな確定をされることだけは避けたかった。加えて、誤診の可能性も少しでも減らしたい。

ほかにもいくつか候補はあったが、何よりも最終的に決めてになったのは病理医。
もちろん、診察する先生の評判も見て。告知も隠さずズバッと言うらしい。
上の空で仕事をしたのち、夜、会社から直接クリニックに向かう。

クリニックにはほかの患者さんは誰もいなかった。
到着して受付で検診施設から送られてきた紹介状とエコー画像を渡し、問診表を書く。
すぐに診察室に呼ばれたので入ると、ズバッと物を言うとネットで評判の先生がそこに。
緊張しているので、私自身も何をどう話していいかよくわからず、とりあえず、「よろしくお願いいたします」とぺこりとお辞儀をする。
すると、送られてきたエコー画像は不要だと返され、「とりあえず、検査しましょう」と始まった。

・マンモグラフィー
・エコー

と、これまでと同じ検診を行い、エコーは先生が自身で見る。
右胸は以前と同じく、すぐに終わり、問題の左胸。
左胸の外側の上の方で何度もまた繰り返し見ている。
「ああ、これですね」。

「ちょっと組織を取って確認します」と先生が告げ、何か用意を始めている。
これからあの細胞診かと思ったら、看護婦さんに向けて「坂元で」と言っている。

心の中で「え!」と叫ぶ。
じつは、この坂元というのが、このクリニックが出している病理診断医の苗字だ。
じゃあ、これからやるのは針生検ってこと?!つ、つまり……。

「少し太い針を刺すので、麻酔をします。バネでパチンパチンと針が出て、数回組織を取ります」
と説明をして、すぐにスタート。
麻酔をしているのでまったく痛くないが、かなりの衝撃がある。

終わって、看護婦さんにガーゼを当ててもらい、抗生物質の処方があることを知らされ、
また診察室へ。
席に座ると、エコーを見せてくれる。
「ここに1cm弱ぐらいしこりがありますね。それ以外はキレイです」
「1週間後に検査結果が出ますので、その時に」
で、終わってしまった……。

受付で次回の予約を取って、そのままクリニックを後にする。
薬局に寄って、抗生物質を処方してもらい、駅に向かう。
途中で母に電話をする。

「たぶん、私、乳がんだと思う」
口にしたら、涙が出そうになった。

細胞診なしに針生検をするというのは、それだけ悪性の疑いが強いということだ。
これで、良性の結果がでたら、それは奇跡なのかもしれない。

最近の口コミがないので、よくわからないが、見た限りだと、私が訪れたクリニックでは、病理の検査をした場合に、悪性の可能性が高いということを事前に先生から告げられ、実際に検査結果が悪性だったという人が多い。
私は何も言われなかったっていうことは、非常に悪いってことなんだろうか?と、正直なところ、おびえている。
私が何も質問をしなかったから、特に説明がなかっただけなんだろうか?

がんの診断が下されることは、この時点である程度覚悟があるのだが、その状態がすごく悪いのではないかというのが怖い。

通常、私のように1cm程度のしこりで、リンパ節に転移がない場合は、乳がん初期のステージⅠとなる。
ただ、移転がある場合は、2㎝未満でも、ステージⅡa。
ⅠとⅡaの10年生存率は20%ほど違う。
ステージⅢは、さらに転移が進んだ局所進行乳がんで、10年生存率はぐっと下がる。
そして、遠隔転移がある場合は、ステージⅣで末期だ。10年生存率は3割程度。
こうなれば、手術もできず、緩和治療を行って、生存期間を延ばすことが目的となる。

このあたり、実はもっと細かい分類があって、それは乳がんの確定診断がされないとわからない。

果たして、私は、いったい……。

2013年2月13日水曜日

台湾でライブ

週末は3連休で、色々と考える時間はあった。
だというのに、どのクリニックにするか、色々と考えるばかりで、最終的に決められない。
母には、家を出るとき、会社の近くのクリニックへ木曜日に行くと決めたと知らせておいたけど、実はまだその時点で、どのクリニックにするかは決めかねていた。

連休が終わり、火曜日。
実は水曜から木曜の朝まで台湾に行く予定だった。
とあるイギリスのバンドのライブを見るために、まるで日帰り国内旅行のようなスケジュールで台湾へ。
そんなこと、親にはいえないので、内緒にしていたんだけど。
だから、最速でも木曜日の午後が精密検査を受ける日程になるわけだ。

台湾はちょうど旧正月の元旦から4日め(初四という)だったので、少しずつお店などが開く時期。
私の台湾人の友達は、ほとんどが実家に帰っているというのもあって、特に連絡などはせず、誰にも会わなかった。
いつも行っているお店はまだ閉まってたので、ライブに行くだけという感じの過ごし方。
あとは、毎年あるお菓子屋さんの春節ギフトをゲットしているんだけど、今年はそのお菓子屋さんにまで行ってる暇がなかったので(台北にお店はない)、台北のホテルに送ってもらったから、それも受け取りたかったのだ。

日本ではない国で台湾人でもないバンドのライブを見るという経験はそれなりに面白かった。
でも、やっぱり、頭の隅に検査のことがずっとひっかかる。
ライブを見終わったあと、1人なのにアップグレードされた広いホテルのスイートルームで、
行くクリニックを決めた。

そして、翌朝帰国。
そのまま会社に出社する途中、クリニックに電話をすると、今日の夜でも精密検査を受けられるという。
その場で予約を入れた。

2013年2月9日土曜日

電話

土曜日はいつもお昼ぐらいまで寝ている。
私は寝ることが大好きで、旅行先でも、特に予定がないと、
お昼ごろまで寝てしまうぐらい、寝ることが好きだ。

この日も例に漏れず、寝ていると、午前11時ごろに携帯電話の着信音で起こされる。

「○○ですが、こちらは××様の携帯電話でしょうか?」

2日前に検診を受けた施設からだった。

「乳がん検診のエコーで、悪性を完全に否定できない影が見つかりました。
紹介状と撮影したエコー画像を宅配便にてお送りします。
1ヶ月以内に、乳腺外科で精密検査を受けてください」

寝耳に水とはこのことだ。
とはいうものの、どう考えてもあのエコー検査の長さは異常だった。
やっぱり、という気持ちもその後すぐに浮かんできた。
電話を切ってから、しばらく呆然とする。
眠気もどこかに吹っ飛んでしまった。

「私、乳がんかもしれないんだ……」
自分の置かれている状況をやっと理解しながら、まずは、乳がんの精密検査について、猛烈にインターネットで調べ始める。
精密検査の内容はもちろん、その結果、悪性と確定診断が下る確率も。

しかし、どの施設に行けばいいのかがよくわからない。
大学病院だと、時間もかかるようなので、できれば診断までは、クリニック的なところがいいのではないかと考え始める。

私は友達が片手で数えられるほどしかいないので、相談できる相手も限られる。
そのうちの1人に(私の中では一番古い女友達でシングルマザー)、
評判がよい乳腺外科はないかと聞いてみる。

いくつか紹介してくれたんだけど、ホームページなどで調べてみたが、教えてもらったクリニックでは、自分が得たい結論をきちんともらえないかもしれない可能性が見えるのと、最終的に手術などが必要になった場合に、紹介してもらう病院をある程度選べるところがいいと、だんだん自分の希望も分かって来た。

いくつかクリニックを絞り込んだのちに実家に帰る。
母に現状を告げる。
そして、近所の102歳でなくなったおばあちゃんのお通夜へ。

昨年の11月に私も92歳の祖母をなくし、その祖母と仲がよかった近所のおばあちゃん。
私の祖母がなくなってから、ほどなくして、近所のおばあちゃんも逝ってしまった。

残った祖父は軽い認知症で、母は介護に疲れ果てている。
父も元気ではあるものの、もともと色々な持病を抱えている。
もし、私ががんになってしまったら……。
色々不安がよぎる。

でも、とりあえずは精密検査を受けなくては。

2013年2月7日木曜日

検診

毎年のように、この時期は会社から促されて検診を受ける。
本当は12月中に受けないといけないんだけど、大抵年末は仕事が詰まっているので、どうしてもこの時期になってしまう。

40歳までは普通の生活習慣病予防検診で、今年も例に漏れず。
それに任意で婦人科検診(乳がんの視触診と子宮頸がんの触診と細胞診)を付けられる。
さらに、自費で乳がん検診などを加えられるので、そろそろ年齢的にもまずいよなということで、去年はマンモグラフィーを受け、今年は超音波検診(いわゆるエコー)にしてみた。

検診の日。一番最初が乳房のエコー。
右胸から始まって特に問題なく、すぐ左胸に。
と、左胸の左上を何度も何度も検査して、終わらない。

「あ、やばいな」

なんとなく、これは非常にまずい状況なんじゃないかということを直感する。
恐らく、角度を変えて、何枚も何枚もその画像を撮影している。

技師さんに
「最近検査を受けたのは去年のマンモグラフィーですか?
エコーは久しぶりですか?」
と聞かれる。

「はい。エコーは実は8年ぶりです」

そう。私が最初に受けた乳がん検診は、節目の年に受けた人間ドックだった。
そのとき、確か左胸に「のう胞」という診断があったなぁということをふっと思い出す。

やっと検査が終わって、不安になった私は技師さんに、聞いてみた。
「エコーを受けていないっていうことを、わかるものなのですか?」

すると、「いいえ、みなさんにしている質問ですよ」と。

それ、たぶん違うんじゃないのかなと思いつつ、次の検診項目へ。
そして、他の項目は滞りなく。
最後に行った乳がんの視触診も「はい、大丈夫ですね」で終わり。

あ、これならきっと大丈夫だよね、何も問題ないはず。
検診センターを後にする。


本当はこのブログ、まったく違うことに使っていたんだけど、
いろいろあって、復活。
あまり面白くない話ですが、記録のために淡々と書いてみる。