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2013年4月4日木曜日

入院と手術5(手術翌日と退院)

長かった夜が終わり、やっと朝が来た。

起床の6時より少し前に看護師さんがやってきて、心電図と血中酸素量を計るための機材と、点滴と尿道カテーテル、足に付けていたマッサージ機を外してくれる。やっと自由に体が動かせるようになった。一番最初にトイレに行く時だけ、看護師さんがきちんと歩けるかを確認するので、ナースコールをするように言われる。

尿道カテーテルを入れていると、尿意というのがどんなものかがよくわからなくなるようで、しばらくはトイレに行きたいという気にはなれなかった。が、寝ていることのほうが辛いので、とりあえず、トイレに行ってみようとナースコールを押して、看護師さんに来てもらう。起きて廊下を歩くと、特に問題はなさそうな感じだったので、トイレの入り口にてもう大丈夫そうです、とひとりでトイレに。だが、尿意を感じなかったので戻って来た。しばらくすると、やっと本当に尿意を感じ、もう一度歩いてトイレへ。が、かなりやばい感じになり、シャカシャカと早歩きで駆け込む。あら、私、大丈夫そうね、と思いながら用を足し、ついでに個室で乳を観察してみる。胸には胸帯と呼ばれる圧迫帯がきつく巻かれているので、どうなっているか、よくわからない。しかも左側をよく見ると、タオルで作ったお団子のようなものが付いていて、なるほど、ゴロゴロと寝返りしてもクッションがあったから痛くなかったのか、と納得。洗面台で顔を洗って、うがいをして、ちょっとさっぱりとした感じで戻ろうとすると、病室の入り口にボンボンを含めた乳腺外科の先生の集団が見えた。

あ、もしや、あれは私を待ってる?と思って、小走りで戻ると、そのうちの1人の先生に「あれ、もう歩けてる!」と、まるで「クララが歩いた!」ばりで迎えていただき、ボンボンがベッドに寝るように言う。胸帯を外して、傷のあたりを触っているようだ。「これなら大丈夫ですね。今日から、いつでも好きな時に帰っていいですよ」と、あっさり退院の許可が出た。

「ええ!もう帰っていいんですか?」と聞くと、退院後の外来の予約表をあとで渡すので、それを受け取ったら、いつでも帰っていいと言う。こんなにあっさり退院って決まるんだ。昨日の時点では、明後日ぐらいに退院できますよと言っていたはずだが、前倒しになってしまった。ただ、家族の都合もあるだろうから、まだ2〜3日いてもいいですよ、と。いや、帰っていいなら、帰りたかった。なぜなら、この病棟は古くて暗くて、私のベッドの側には窓もなくて、いつ日が昇って落ちてるのかがわからないので、ここにいることで、逆に病気になりそうだったから。

朝ご飯を食べて、母に退院していいって言われたと電話をすると、今日突然迎えに行くのは無理!と言われる。もちろん、それでいいんだけど。その後、父と母が明日の午前中に迎えに来てくれることになった。その間も、何度かチームの先生や看護師さんが、いつ退院するのか聞きにくる。そんなに早く出て行ってほしいのだろうかと思いつつ、私自身もいるだけでお金がかかるこの部屋に長居をするのはまっぴらだったのだ。

朝ごはんを食べると、またウトウトと寝てしまい、お昼ご飯を食べると、看護師さんが体を拭きましょうか?とお湯を持って来てくれた。私の場合は、手術後も腕の稼働域がそれほど狭まっていなかったので、どうしても動かすと痛くて届かない背中以外は自分で拭いた。その時に、初めて自分の乳をマジマジと見る。あれ、あまり変わってないみたいな。上から見ているので、よくわからなかったから、トイレに行ったとき、誰も来ないのを確認して、寝間着の前を開けて鏡で見てみる。やっぱりあまり変わってないような気がする……。手術前の写真はあえて撮ってないので、まったく変わってないわけではないのだろうけど、それほど変じゃない。左上には傷があって、ガーゼがあたってるからどうなってるかわからないけど、パッと見た感じは、それほどおかしなことにはなってないようだった。傷がどうなってるかが不安だけど、とりあえずは悪くないことにしておこう。

夕方、またボンボンが回診にやってきた。
「お元気そうですね〜?」「はい、元気です。明日帰ります」「お風呂もシャワーも、今日から入っていいですし、普通の下着も付けていいですよ」「傷のガーゼはそのままでいいんですか?」「そのままにしておくのが一番いいです。お風呂にもそのままバシャンと入って大丈夫です」「(出た!「バシャン」だって!)はぁ、バシャンとですか。わかりました。ありがとうございます」

結局その日も、あまりよく眠れない。相変わらず『深夜食堂』を読みながら夜を明かす。

次の日の朝、またもや教授回診があった。今日は取り巻きの中にボンボンもいて、私の手術の説明を教授にしていたが、やっぱりオドオドしていて、聞いているこっちがハラハラする。この人はたぶん、出世は無理なんじゃないか?と私には見えるんですけど(笑)。

そんなわけで、晴れて退院!
5日で娑婆に出られたのは、嬉しかった!

2013年4月3日水曜日

入院と手術4(手術当日)

気がついたら朝だった。病院は6時が起床時間で、放送が入る。

検温と血圧測定がいつものようにあり、その後もなんとなくベッドの上でゴロゴロとしていると、そろそろ手術の時間が近づいて来た。朝一番早い時間からの予定らしく、8時20分には手術室に入るという説明を昨日聞いていた。同意書を書いた際の説明では、順調に行けば、10時30分ごろに手術は終わるという。家族(父と母)は、それぞれに家族に関する用事があり、手術が始まる時間には病院に来られず、それぞれ手術中か終わったころ到着する予定。兄夫婦も来るとは言ってくれていたが、住んでいる家は病院からかなり離れているので、どうやら手術中になりそうだった。普通、家族が手術する場合、誰かが最初から最後までいるものなのだろうけど、乳がんの手術では何かあるということはなさそうなので、終わってから来てもらえればいいやと思っていた。

本当なら、ここでは配偶者などのパートナーなんかが来てくれるもんなんだろうけど、私にはそんな人はいないので、文字通り孤独である。シングル・がん・孤独と、シャレにもならない背景だが、それは手術の時だけでなく、この先もずっと個人的に背負っていかないとならないことなので、どうしようもない。私こそが、今流行の「お一人さま」なのである。

のろのろと体を起こすと、なんと昨日お見舞いに来てくれた友達が現れる。びっくりした。昨日、帰り際に「明日も来るよ」と言ってくれたけど、丁重に断ったつもりだったのに。話しながら用意を始めると、兄夫婦も現れる。たぶん、ここにこの時間に来るためには、朝かなり早く起きないと間に合わなかったはずだ。突然3人の訪問を受けて、嬉しいのはもちろんだったが、緊張も少しほぐれる。雑談をして、そろそろ時間だということで、3人に朝ご飯を食べに行くように促し、看護師さんと手術室に向かう。

手術室への扉を入り、準備室のようなところで手術用のうわっぱりみたいなものに着替え、なんだかよくわからないけど沢山人がいる前で名前や手術部位の確認をし、実際の手術室へと向かう。手術室は確認できただけで10以上あり、そのうちの1つへ。部屋はかなり広く、中央に手術台がある。すでに何人かいるが、誰も知らない人だ。手術台に乗って寝るように指示され、靴を脱いでよっこいしょと横になると、心電図などの機材が体に付けられて行く。寝た状態で正面を見ると、でかいモニターが天井から下がっていて、そこにどうやら心電図などのデータが表示されるようになってるみたいだった。ほう、ハイテクだ。

これから点滴をしますと麻酔医が針を右手の甲に入れようとしたが、右腕は全体的に血管が出にくくてなかなか入らない。しかも、入らない(失敗している)時は、なんとか入れようと押し込むからか、かなり痛い。3回ほど失敗して、最後の一撃があまりにも痛すぎたのと、手術前の緊張からか、涙がぶわっと溢れる。それを見た偉そうな先生みたいな人が代わってくれると、一発で針が入る。こういうふうに入れば、たいして痛くないのにと、上を見ると、いつのまにか現れていた手術着のボンボンが私の顔を覗き込んでいた。酸素マスクを付けると、点滴から麻酔薬が入って来たようだ。麻酔医が私に「麻酔薬入りましたよ」と話しかけてきたが、すでに呂律がよくまわらない。「そうですね。もう寝てしまいそうです」とふごふご答えると、「じゃあ、一緒に20まで数えましょうか」と言われたが、「いち……」までしか覚えていない。

気がついたら、回復室にいた。
看護師さんとの会話は覚えているのだが、記憶がとぎれとぎれで、覚醒したり、寝たりを繰り返していた。体が動いたかどうかはほとんど覚えていない。この時点で痛みというのはあまりなく、寝て、覚めてを繰り返していたことを覚えている。だというのに、人間というのは不思議なもので、しっかりとした会話をしようとするようだ。私も例にもれず、「手術は何時に終わったのですか?」「リンパ節は取ったのでしょうか?」と、ぼやけた意識の中で、真面目な口調で質問をしていたことを覚えている。なんども寝たり覚めたりをくりかえしていると、病室に戻ることになった。

手術は予定どおり、10時30分ごろ終わったと言われていたが、病室にもどったのは、12時を回っていた。傷口がかなり痛んできたので、看護師さんに痛み止めの点滴を入れてもらっていると、両親と兄夫婦、友人が病室にやってきた。ここでもまだ寝たり覚めたりを繰り返しているのに、やはりまともな会話をしようとする。しかし、どうみてもまだ覚めきってないだろうし、私がとりあえず元気そうなことを確認すると、皆でお昼ご飯を食べに行き、その後病院を後にしたようだ。

午後になると、意識もはっきりしてきた。腕は動くのかなと、もそもそやってみると、右も左も動く。左はさすがに手術をしているので、大きく動かすのが怖いのだが、きちんとどちらの手も顔の位置まで上がることを確認して、枕元に時計代わりに置いて帰ってもらったiPhoneを使い始める。おお、意外と大丈夫そうだ。右手は点滴の針が入っているので、気をつけながら、TwitterやLINEの返信などを書いてみる。ただ、まだ麻酔が覚めきってないようで、視野が狭い感じ。足には、エコノミー症候群を防止するためのマッサージ機が付いていて、プシューっとうるさい。さらには、尿道にカテーテルが入ってるので、まったく尿意を感じない(これは本当にびっくりした)。あとは、酸素マスクのようなものが口に付いているが、息苦しさみたいなものはない。そして、腰がとにかく痛くなってきた。

数時間に1回、看護師さんが点滴を交換に来る。その際に腰が痛いと言うと、寝返りを大きくするように指示されるが、さすがに左側に転がるのが怖い……。が、同じ姿勢でいると、とにかく腰が痛くて痛くてたまらない。右にはすぐに転がり始めたのだが、やはり一方向だけだとすぐに腰が痛くなるので、意を決して左に転がってみると、あれ?!思ったより痛くない。ええーっと思ったが、同じ姿勢でいることの方が腰に来るので、ゴロゴロとベッドの上で転がり続けていた。

夕方になると、回診でボンボンがやってきた。ボンボンは私が「パッチリ」目覚めているのを確認して、酸素マスクを外してくれる。そして、看護師さんと同じく思いっきり寝返りを「ゴロン」とすることを指示し、水を「ゴクゴク」飲むと吐いてしまうので、喉が渇いたら氷を「カリカリ」食べるように告げて去って行った。このあたりから気がついたのだが、ボンボンは擬音語や擬態語がとても好きなようで、何かを説明するごとに、擬音語や擬態語を多用する。たぶん、患者さんに対して分かりやすさと親しみを出すために、自然にそういう語彙を使ってしまうのだろうが、これに気がついてからは、会話中にわき上がる笑いを我慢するのが大変だった。今、思い出しただけで、お酒を「ガバガバ」飲む、タバコを「スパスパ」吸う、お風呂に「バシャン」と入る、などなど。日本語らしい表現なので、とてもよいのではないかと思います(棒読み)。

そして夜。昼間に寝たり起きたりを繰り返したことで、まったく眠くならない。しょうがないので消灯後にこっそりと、手元のiPhoneでマンガを読み始める。入院する前に購入しておいたマンガ『深夜食堂』だ。すると、今度はお腹が空いてくる。点滴を昼間から5本以上していて、不思議なことに喉は乾かない。しかし、このマンガに出てくる食べ物は、とても日常的な普通の食べ物(赤いタコさんウィンナーだとか、目玉焼きが乗った焼きそばだとか)で、見ているだけでお腹が空く。これがフランス料理など、ちょっとでも現実から離れていれば、それほど食欲に直結しなかったのかもしれないが、庶民的な食べ物が出てくるマンガはまずかった(笑)。

事件は夜中に起こる。空腹を我慢しながら深夜食堂を読み、大きく寝返りをしたそのとき。
手元からiPhoneが離れ、隣の方のベッド下に放物線を描いて落ち、転がって行った。
なんてことだ。これこそ、マンガみたいな風景。

さすがに、ナースコールはできずに眠れないまま、やることもなく、寝返りを数時間(恐らく。時計がないのでわからず)繰り返していると、明け方にやっと少し眠れた。

2013年4月2日火曜日

入院と手術3(手術前日)

入院当日は、手術の術式を決めて、同意書を書いて終わり。恐らく、乳がんの手術は元気ならば手術の前日入院でもいいはずなんだが、ボンボンは手術前日の曜日は毎週他の病院でアルバイトをしているという私の人肉搜索(中国語のネットスラングなんですが、いわゆるネットなどで個人情報をあさるという意味)により、この大学病院にいないことが判明してるので、手術の2日前の入院とさせて、同意書を書かせたのであろう(でも、口が裂けてもそんなことは言えないが)。

そのために1日分多く差額ベッド代がかかっているということを、ボンボンはぜひ知っておくべきである。その金額は、恐らくこの先の放射線治療が2回受けられる金額相当であることを。なお、ボンボンが1回アルバイトをすることで、懐に入ってる金額は毎回8〜10万円相当であろう。週1回の外来バイトを担当することで、1ヶ月のバイト代総額は普通の人の月給以上であり、これだけ稼げるのが医者という職業のなせるワザである。

入院したその日は、同意書記入後は本当に何もやることがなくなってしまい、担当の看護師さんに「明日の夕方の麻酔医と手術室看護師の回診に間に合えば、外泊しても構いませんよ」と言われてしまった。が、高い差額ベッド代を払っているのに、泊まらないなんてもったいない!という母の言葉につられ、泊まることにした。消灯は9時。眠れるかなーと思ってたけど、意外にぐっすりと眠ってしまい、起きたら翌日の朝5時であった。なんて健康的な!

「●●教授の回診が始まりますので、病室でお待ちください」

朝食を食べていると、放送が入った。そう、大学病院ならではの、教授回診である。
教授とその取り巻きが隣の方と話している間に、取り巻きの1人が私の所にきて「●●先生の診察があるので、お胸を出していただけますか〜?」と。おお、そうだったのかとお胸(むしろ乳)を出してるところに、●●教授、登場!教授+乳腺外科の先生数人(ボンボンはバイトなのでいないw)+研修医的な数人でぐるりとベッドを囲んで、上から覗き込まれる(うわ、沢山の視線が上から集まるってすごい光景だ……)。そこでぺろんと乳を出してる私。あまりにも自分の姿が滑稽で、笑いそうになりつつも、こらえる。

教授「おはようございます!(と私に挨拶)所見は?(と研修医に)」
研修医「ほにゃらら(たぶん左乳がん的なことを言ったみたい)で明日オペです」
教授「どの領域?」
研修医「えっと……」
教授「だめだよすぐ答えられないと、キミの担当でしょう?」
��お、ダメだしされてる。がんばれ!若者!ちなみに左C領域です)
教授「じゃあ、ちょっと触らせてくださいね。あれ?触れないね」
先生「私も昨日、初めてエコー見たんですけど、あれ?わからないですね」
研修医「……わかりません」
教授「触れなくても、きちんと画像で出てるので、安心してね!」

安心っていうか、3人触って誰もわからないって、なんじゃそりゃ!という感じですが、私の乳がんは腫瘤が1cm程度すでに形成されていると画像では判断できるにも関わらず、触っても本当にわかりにくいものだった。最後まで、自分で探してみても、どこにあるかがわからないままだった。診断をしてくれたクリニックは一切触診をしない方針だったので(それはそれで正しいのだが)、触ってわかった人というのはボンボンただ1人だけ……私の乳がんを触れたのがよりによってボンボンだけなのかと思うと、ちょっと悲しいものがあったり。

朝ご飯を食べたらすぐに眠くなってしまい、ウトウトしてると昼ご飯、そして食べたあとはあまりにも暇だったので、速攻外出届けを出して、家に忘れ物を取りに帰り、夕方病室に戻ると、突然古くからの友人がお見舞いにやってきた。確かに友人には入院する病院を知らせておいたけど、まさかお見舞いに来るとは思ってなかったので、かなりびっくりしたのだが、人には話せなかった手術前の本心を聞いてもらえて嬉しかった。

友人が帰ってからシャワーに入ると、すぐに消灯の時間。しかし、眠れない。どうやら非常に緊張してるようで、寝付けないのだ。さすがに0時を回りそうになるとまずいと思い、見回りに来た看護師さんに「どうしても眠れない」と話して睡眠導入薬を処方してもらい、それを飲んだら結構あっさり眠れた。

上の写真は、手術前の説明で使ったもの。私が診療を受けている大学病院では、こういう資料を使って説明してくれる。一応、この資料は病院オリジナルみたいだけど、どこでもこんな感じなんだと思う。絵の部分は、どこにどれぐらいの腫瘤があって(ここにも12mmって書いてある)、どのくらいの範囲を切り取って、センチネルリンパ節生検をしますよ、という内容。結構リアルなんですが、なかなか見る機会もないと思うのでご参考まで。
ちなみに、上の方にある落書きみたいなのは、一番左が通常の乳がん(いわゆる浸潤性乳管癌)の形、真ん中の平たい丸が私の小葉癌の形。なぜ私の乳がんが、触診で触れにくいのか、広がってる可能性がどうしてあるのかを説明してくれた。一番右が、傷の形と傷の位置。本当にこんな感じになるのかな……。

2013年4月1日月曜日

入院と手術2(入院当日)

入院の当日。午前11時前に入院する病棟へ向かう。

入院の当日の夕方に術式などを含めた相談をもう一度するという予定だったのだが、入院する数日前にボンボンから電話がかかってきて、どうやら入院してすぐに時間が取れそうなので、夕方まで待っていただく必要はなくなりました、とのこと。親切なのか、なんなのか、実はよくわからなかったけど、その相談の時間は、手術の同意書を書くために家族の立ち会いが必要だったから、立ち会ってもらう母にとってさらに都合がよくなり、内情は知らないくせに、タイミングが良い申し出であった。

入院手続きが終わって指定された病室に行き、荷物を整理していると、ボンボンが呼んでるからと看護師さんが私と母を外来センターまで連れて行ってくれた。私が診療を受けている大学病院の全体はとても大きいが、その中でも入院した病棟はとても分かりにくく、古くて暗い。外来センターは最近作られた建物で、その中央が吹き抜けていて明るい。入院した病棟と外来センターの間は、ガラス張りの長い渡り廊下のようなもので結ばれていて、入院している間は古くて暗い病棟にいるのが嫌で、体が動かせる時期は何度もここを歩いて用もないのに外来センターに行っていた。実際にこの渡り廊下は、術後などのリハビリにも使われているようだった。

外来センターにいくと、ボンボンが待っていて、乳房のエコー(超音波)検査をもう一度やるという。基本的に大学病院なので、エコーの検査をしている間中も、まわりで3人ぐらいの若手の医師(たぶん研修医)が見ていて、なるほど、これが教育の場ってやつかと、かるい視線の洗礼を受ける。しかし、この教育の「場」は、教授回診というイベントにて、最高潮を迎えることになる。

エコー検査のあとは診察室にて、術前最後の相談。あっさりと乳房温存術でお願いしたいと私が言うと、ボンボンはちょっと拍子抜けしたようだった。もちろん、そこに至るまでの思考の道筋があっての選択なんだけど、そんな話はここでは不要なのでどうでもいい。実際の傷の位置や長さ、部分切除後の乳房の形をもう一度説明してもらったけど、やっぱりボンボンの説明はよくわからなかった。内容は総じて、切除位置から考えると、まわりの脂肪(切除位置付近には、実は結構脂肪があるとのこと)を集めることで、乳房は丸くなる、ということだった。うーん。その丸というのは、元の形に沿って丸くなるのか、単に丸くなるのか、なんなのかよくわからないと思ったけど、すでに、ボンボンに説明してもらっても、私自身が納得できる答えをここで出すことは間違ってると結論付けていたので、術式はこれにて決まり。

その後、手術に関して、もう一度説明してくれたが、ちょっとその内容が変わっていた。

・再手術になる割合は10人に2人弱(お、少し少なくなった。実はこれ19%なはず)
・MRIとPET、エコーすべての画像で同じように腫瘤が描かれているが、その場合は所見通りなことが経験上多い
・ただし、小葉癌によくある形をしているので、頭の片隅に「再手術」という言葉を置いておいてほしい
・腫瘤径は最大12ミリぐらい(診断時より3ミリぐらい大きいかもしれない)
・触診と画像上では、リンパ節への転移は認められないが、センチネルリンパ節生検の結果、転移があった場合はリンパ節を廓清する

ここまで聞いて、ボンボン、すごい説明の内容が進歩してる!私が前回噛み付いた「20%の再手術は多い!」を、しっかりとカバーした説明になっている!と感動した。私が不安に思っていたことに対して、実際の数値と自分の経験、そして可能性を用いることで、過不足ない説明に進化させていた。オドオドしてるし、うっかり発言も多いけど、ボンボンに治療をお願いしよう!という気になったのは、これが理由だ。私がなぜ噛み付いたのかを理解しようとしてくれた姿勢が見えたからだ。

ただ、乳房の審美的な話は、最後までよくわからなかったんだけど……ね。

2013年3月31日日曜日

入院と手術1

入院の前日。実はその日まで台湾に行っていた(え〜!!)。
本当は温泉に行こうと家を出たのだが、なんとなく、そのまま台湾へ。
なんでそんなことをしたのか、ここでは説明する気はないが、まあ、私はそれぐらい台湾が好きなんで、それはそれでいいとして。

結局入院する部屋は、希望していた差額ベッド(特別療養環境室)代がかからない大部屋は空いておらず、2人部屋になった。この話は、入院前の診察の際に決まっていたことなんだけど、そこでボンボンの発言があまりにも失礼すぎて笑ってしまった。

私「はぁ、2人部屋ですか。同室の方とは上手くやっていけるでしょうか?」(←こんなことを聞く私がそもそも間違っていると、今更気がついた)
先生「大丈夫ですよ。気性の荒い方なんていませんから」(←気性が荒いって、その単語はいったいどこから来た。私の気性が荒いということを言いたいのか?)
私「(無視)同室の方は、同じ病気ですか?」
先生「そうですよ。乳がん部屋ですから。あ、同室の方はもちろん女性です」
��「乳がん部屋」ってなんだそれは……。同室が男性なわけないだろうが)
私「はぁ、乳がん部屋ですか。ところで、男性も乳がんになるんですよねぇ?」(←もうどうでもよくなった)
先生「そうそう、たまーになりますよ」(←おまえがなってしまえ!)

というわけで、私は気性が荒くない女性が同室の、乳がん部屋に入院することになったのです。

こんな失礼な発言ばかりしてたら、他の私よりもお年の患者は卒倒しちゃうんじゃないかしら、という話を知人にしたところ、年齢が上がってくると、女性というのは年下の男の言うことなんて、いちいち気にしないんじゃないの、大体男性なんて失礼なことをよく言うものだという回答をもらって、なるほどと思ったのでした。

私はたぶん、ボンボンが受け持っている患者の中では比較的若い方なんじゃないか(日本での乳がん患者は、30代まではかなり少なく、40代から爆発的に増えます。35歳以下での発病は若年性乳がんと呼ばれ、再発リスクの1つにもなるのですが、私の場合、一応そこはクリアしてる感じですw)、まだ悟りきれてないからいちいちカリカリしちゃうんだろうなぁと、もっと大らかな心を持って接していかないと、自分の神経も疲れちゃうなーと思ったのでした。いや、本当にボンボンは常にオドオドしているかつ、うっかり発言が多すぎるんですよ。診療自体に何か悪いところがあるとは思わないんですけどね。まあ、そのギャップが面白いというのもありますけど。

しかし、このボンボンは本当に腕利きなのかなーというのは、常に思ってることでもあります。ただ、個人的な見解として、この先生と共に治療を進めていきたいと思ったことがあった、というのも事実です。そのあたりは次回にでも。

ちなみに、後日談ですが、同室の方(恐らく、娘さんが20代後半なので、50代ぐらい。乳がんですが、気性は全然荒くなかったですw)と退院のときにちょっと話したところ、主治医の先生の話になりました。基本的に私が診療を受けている大学病院の乳腺外科は入院中は乳腺外科医の先生全員が1つのチームとなって患者を見るので、どの先生とも面識ができますし、症例自体も共有されています。で、ボンボンの話をしたら「●●先生って、あの坊ちゃんね♪」と、年上の貫禄を感じました。私もこうならねば……。