3月6日に会社に休職願を出し、晴れて毎日が日曜日になった。
本当は、4月から休もうとしていたが、その時期の突然の休職は来期の予算に大きな影響が出てしまうので、早めの休職の方がよいだろうと思ったというのもあるけど、実際、限界だった。
毎週、メンタルクリニックの先生との診察の中で、初診の時から、何度となく「やっぱり仕事は、休めないですか? 診断書なら、いつでも書きますから」と言ってくださっていたのだが、なかなか私自身が決断できなかった。それは、休むことで、これまでのキャリアがもう終わってしまうかもしれないこと、がんの治療のためという名目もある収入が途絶えることになってしまうこと、などに対する恐怖があったからだ。「ええ、仕事は本当に、休みたいんですけど……」その後がいつも、続かなかった。
毎週同じ曜日の同じ時間に診察を受けていて、3月初めの診察日に、どうしても、今のまま仕事を続けるのなら、ということで、薬の種類を変更して処方してもらった。今まではマイナートランキライザーと呼ばれる、抗不安薬を日常飲みながら、必要に応じて頓服の薬を使っていたものの、なかなか気持ちが上がらないため、仕事をどうしても続けるのならということで、メジャートランキライザーの抗うつ薬(SSRI)を使うことになった。仕事を続けながらうつの治療を続けたいという患者さんによく使われるもので、それほど強い薬ではないのだが、抗うつ薬を飲んでまで、なんとか仕事を続けようとしている自分にウンザリだった。キャリアも収入も、もう、とりあえずどうでもいい。そんなものより、とにかく、休みたい。心からそう思った。
診察翌日、メンタルクリニックに電話をして、「最短で診断書を出してほしい」と頼み、診断書を書いてもらうために診察室に入ると、先生から言われる。
「これまで、よくがんばりましたね」
乳がんの告知の時ですら泣かなかったのに、思わず、泣いてしまった。
私の病名は「適応障害」でした。
仕事だけでなく、乳がんになったことや、治療そのものに対しても強いストレスを感じているということがわかり、ちょっと複合的ではあるのですが、しばらくだらだら〜としながら、まずはゆっくり休みたいと思っています。
やりたいなーと思っていた翻訳の続きなども、毎日が日曜日なので、少しずつできるといいな〜と思っています。
しかし、このblogは乳がんの記録だったはずなんですけど、ま、いっか!ということで。