2016年10月13日木曜日

意味がないこと

復職して、一カ月ほどが経った。

復職する前に、産業医との面談があったが、はっきり言って私にとっては、何の意味があるのかがわからなかった。なぜなら、精神的に問題があって休職したのちに、復職したい意志がある人は普通、産業医の前で「気分が落ち込んでいて」とか「仕事をする気がしない」などとは言わないからだ。そんなことは愚問でしかないのに、聞かれるのだ。

「気分は落ち込んでいませんか?」
「仕事をする意欲はありますか?」

これらの質問に「はい」と答えられない状態なら、復職できるわけがないというような愚問が繰り返される。
「はい」と自分が答えられることがわかっているから、この場に来ているのだ。
自分の状態がどうなのかがわからないのなら、そもそも産業医の面談に来るべきではないし、むしろまだ休職する必要があるのだろう。

休職前に産業医との面談はなかったし、会社から産業医の元に行くような指示もなかった。だから、この産業医は、私がどんな経過をたどって今ここに面談に来ているのか、私が話した内容で、初めて知ったようだ。休職前にどんな仕事をしていたのかも説明をさせられたし、どんな症状があって休職にいたったのかということも今さら聞かれた。今、この時期に私が労力を使い、過去を振り返って話したところで、何のメリットがあるのか。だったら、休職する際になんらかの形で、一度聞いておくべきじゃないのか。過去と今とを比較しないで、いったい私の何を診断しているのだろうと、次々に疑問が浮かび上がってくる。

もちろん、そんなことにいちいち細かく答えるのも面倒なので、適当にはしょって答えた。
以前に、整体やリフレクソロジーなど、リラクゼーションのお店で「大きな病気をしたことがありますか?」という問いに「どう答えるか?」を書いたが、この産業医の面談も同じようなものといえよう。適当に答えたところで、多勢に影響などない。

しかも、会社に対しての小言まで言われ、なぜか私が謝るという、本来の面談の体を成していない時間が流れる。さらに、主治医からの診断書にあった「時短勤務から始めるのが望ましい」は、「今の状態なら問題ない」「フルタイム勤務で始めて大丈夫」と切り捨て、太鼓判を押してくる。今までのことを何も知らなかったのに、今すぐに決められるのはなぜかと、疑問しか思いつかない。

そもそも私が雇用されている会社で、産業医の存在意義はどこにあるのか。大企業であれば、産業医が常勤していて、社員が健康的に働けるよう環境を整えるなど、やることはあるのかもしれない。もちろん中小企業の嘱託産業医だって、もうちょっと意味のある質問をする医師もいるのだろう。なにより、企業に産業医が存在するのは、法的に決められているからで、面談を行うのは、会社の就業規則として、休職から復職するのに産業医の診断書だか意見書だかを必要としているからだ。

この面談で求められていたのは、「会社できちんと仕事ができる人」を演じられるのか、ということだ。そんなことは、私もいい年をした大人なのでわかっている。だから、どんなに疑問が沸いても、理不尽なことを言われても、質問も反論も口にしなかった。人が社会で「健常者」として生きるには、鈍感なふりをするのが一番だ。

そして、法律や規則というのは、時に、まったく意味がないことだという好例だとも思った。

傷病手当金の話はほそぼそと書いているのだが、実際、こういうまとめというのは、私が作り出すものではなくて、もともとあるものをわかりやすくしているだけだ。だから、書く以上に、その準備というか、前段階に莫大な時間がかかる、というのも言い訳だが、こういう単なる愚痴やどうでもいい旅日記は、3分ぐらいで書けるので、たまに書いているんだけど、これこそ意味がないことの極みでもある。

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